土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

2023年7月のブログ記事

  • 英和辞典

    長野市(2020.8)から。 今年の春、高校時代に使ったボロボロの英和辞典が実家にありました。懐かしさがこみ上げてきましたが残していても家族が困るので処分しました。高校卒業後、商社マンになって世界を飛び回る夢を抱いていました。 吉村昭氏は江戸末期、日本へ来たアメリカ人の小説(海の祭礼)を書いていま... 続きをみる

  • 写真機械2

    中野市(2016)から。 ~前回の続き~ 下記サイト(長崎WEBマガジン)によると長崎県立図書館前に上野彦馬の胸像が建っています。上野彦馬は坂本龍馬の写真を何枚か撮ったことで知られています。 坂本龍馬の有名な写真(立ち姿や左肘を台の上に置いた)をみると飾り台が写っています。 これは下記サイト(長崎... 続きをみる

  • 写真機械

    白馬村(2013.8)から。赤い作物は最近見かけなくなったジュース用トマトです。 江戸末期(天保10年)に写真機がフランス人によって発明(1839年)されてから3年を経て早くも日本人(上野俊之丞)の手に渡っています。そして、その子供(上野彦馬)が下岡連杖とほとんど同時に日本で始めて写真業を開いてい... 続きをみる

  • 船酔い

    山ノ内町佐野の象山公園にある石碑(2013)。 この石碑には、勝海舟が佐久間象山の業績をたたえた自筆の書が刻まれています 山ノ内町誌に「石材は小紋岩、高さ309センチメートル、幅98センチメートル、厚さ48~50センチメートルの碑石が、高さ約60センチメートルの大きな自然石上に樹てられ、一面を研磨... 続きをみる

  • 養遐齢(ようかれい)

    写真は山ノ内町湯田中温泉の大湯のようす(2013)。 左側の石碑には、小林一茶の句が刻まれています。小林一茶は湯田中温泉に長期間滞在しています。ちなみに、この共同浴場は地元の人か旅館に宿泊した人しか入浴できません。 下記サイトには「文献に残る開湯は、1350年前(天智天皇の時代)、僧智由が発見し、... 続きをみる

  • 文人の足跡

    高山村(2016)から。 長野県高山村の山田温泉にある旅館(藤井荘)で将棋名人戦第5局(2023.5.31~6.1)が行われました。藤井聡太竜王が名人位を獲得したことは全国的なニュースになりました。 山田温泉付近は山間部の松川渓谷沿いにあり、急傾斜地型の土砂災害警戒区域に指定されています。 過去、... 続きをみる

  • 飛鳥時代

    上田市角間渓谷(2006)から。洞窟の中に岩屋観音が祀られています。 古い案内板(旧真田町)によると、この洞窟に鬼(妖怪)が住んでいて、征夷大将軍坂上田村麻呂が退治して観音様を祀った言い伝えがあります。 文献を読んでいたら胃腸薬や便秘薬としてよく使われる「大黄(ダイオウ)」の記述がありました。 -... 続きをみる

  • 古墳時代

    須坂市破風高原(2006)より。 須坂市八町にある「八丁鎧塚古墳(はっちょうよろいづかこふん)」のようす(2006)。 この古墳は川原石を積み上げた積石塚とよばれ、県史跡に指定されています。規模は径25.5m、高さ3.5mあり、須坂市南部を流れる鮎川沿岸の段丘上には、こういった古墳が数多く分布して... 続きをみる

  • 弥生時代

    中野市柳沢(2007)から。 平成19(2007)年、中野市の柳沢地区で銅戈・銅鐸(どうか・どうたく)が発見されました。 写真は筆者が現地説明会で撮った銅戈(どうか)です。 文献によると下記説明があります。 ------------- 東西66cm、南北26.2cm(残存値)、深ざ17cmの穴の西... 続きをみる

  • 縄文時代の時代区分

    安曇野市(2020)から 新聞(信濃毎日新聞)に城跡の発掘調査(埋蔵文化財)で使った地下4~5メートルの地層を抜き取るジオスライサーという機械(県埋蔵文化財センター提供写真)が掲載されていました。深い地層に対応したものですが、便利で専門的なものがあるものだなと感心しました。 私は埋蔵文化財の大半が... 続きをみる

  • 野沢菜発祥の寺

    野沢温泉村(2013)から。 飯山市誌をみていたら野沢菜の発祥について記載がありました。 ------------- (2)野沢菜の来歴 野沢菜は下高井郡野沢温泉村健命寺の8世晃天園瑞が1756年(宝暦6)に西京遊学のさい上方から天王寺カブの種子を持ちかえり、寺内つづきの畑地に試作したところ突然変... 続きをみる

  • 野々海池

    野々海(ののみ)高原の湿地帯(2016)から。 標高1,020mにあるこの高原は、飯山市と栄村の間にあって、キャンプ場があることで知られています。また、ブナの原生林が広がっていることも有名です。池の脇には照岡山国有林分収育林契約分収林(3.7187ヘクタール・飯山市照岡)があり、樹種は分収林として... 続きをみる

  • 生麦事件3

    小谷村(2010.7)から。 とにかく砂利が多い川(浦川)です。 ~前回の続き(完結)~ 吉村氏は薩英戦争について実は薩摩藩の勝ちだったと言っています。 文献(歴史を記録する)によると ---------- 吉村「(略)生麦事件の翌年、薩英戦争が起こりましたね。イギリス艦隊七隻が鹿児島で砲撃した。... 続きをみる

  • 生麦事件2

    長野市(2012.7)から。 ~前回の続き~  生麦事件で薩摩藩士は、馬に乗っていた人間を肩からきりつけています。吉村氏は地面から飛び上がって届くのかどうか疑問に思い、鹿児島へ急きょ取材に行かれています。まず馬の種類(日本製か外国製)を調べて上海(中国)から持ってきた背の高いアラブ系であることがわ... 続きをみる

  • 生麦事件

    長野市から。 昨年から吉村昭氏(故人)の好きな小説を読み返してます。2巡目ですが吉村氏の文献調査能力に改めて驚くことがあります。 江戸時代末期、薩摩藩(鹿児島県)の大名行列を馬で川崎大師へ向かうイギリス人が乱したことに端を発し、薩摩藩とイギリスの間で戦争(薩英戦争)がおこなわれました。そして、和議... 続きをみる

  • 明地

    大町市(2011)から。 昔に買った飯山城下町絵図の付図(江戸時代末期・飯山市)をみていたら「明地」という名称の土地が数箇所ありました。 もしかして「空地」のことと思い、ネット検索したらコトバンク(精選版日本国語大辞典)に「あき‐ち【空地・明地】」の記載がありました。 また、下記論文(抜粋)には江... 続きをみる