土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

古墳時代

須坂市破風高原(2006)より。

須坂市八町にある「八丁鎧塚古墳(はっちょうよろいづかこふん)」のようす(2006)。

この古墳は川原石を積み上げた積石塚とよばれ、県史跡に指定されています。規模は径25.5m、高さ3.5mあり、須坂市南部を流れる鮎川沿岸の段丘上には、こういった古墳が数多く分布しています。


須坂市の川の多くは、酸性が強く、魚が全くいないのが特徴。その中で、この鮎川は良質な水であるため古代から人々が住んでいたことも影響しているようです。
下記文献によれば下記説明があります。
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鮎川の右岸にそって古墳がたくさん分布している。その一番上流にあるのが鎧塚古墳。昭和32年8月鎧塚1号墳と2号墳が発掘された。(略)1号墳からは鏡、(略)碧玉製管玉(くだたま)、(略)碧玉製石釧(いしくしろ)、(略)貝釧、直刀(略)が発見された。興味をひくのは水字貝(すいじがい)製貝釧である。釧(くしろ)は万葉集に(略)詠まれているように腕につける装身具(腕輪)である。水字貝は琉球、台湾周辺の産で日本近海ではとれない貝である。遠方の海産物である貝の釧が海のないこの土地で発見されたということは人手を通して移入されたものと考えられる。(略)古墳の年代については1号墳は5世紀半ば、2号墳は6世紀頃とみられている。
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ネット(コトバンク)で調べたら管玉はネックレスやブレスレット類、釧(くしろ)は腕輪、水字貝は巻き貝の一種であることがわかりました。また、釧路市の釧は関係あるのかなと釧路市のサイトをみたら納得しました。


古墳時代にネックレス、ブレスレットや腕輪が流行ったようです。
<引用・参考文献>
須坂市教育委員会「ふるさと須坂、歴史と文化財」p.86,昭和63年
「須坂市誌第三巻 歴史編Ⅰ」p.159
<参考サイト>
八丁鎧塚古墳(一般社団法人信州須坂観光協会)
https://www.suzaka-kankokyokai.jp/contents/midokoro/229.html
釧路市市章の由来(令和5年度市政のあらまし)
https://www.city.kushiro.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/012/405/ura.pdf

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