雷電2
飯山市(2020.11.20撮影)から。


そういえば雷電にまつわる話が途中でした。
雷電は引退後も相撲人気で忙しかったようです。
丹波島にある神社境内で興業がありました。
文化九年(一八一二)九月十三日、於佐加神社境内にて当時の人気力士大関雷電為右衛門一行の江戸大相撲の興行があった。鎌原桐山の「朝陽館漫筆」に当時の様子が記録されており、興行場所が本陣となっているが、その後の口伝で実際には於佐加神社境内である。
九月五日から一週間、善光寺堂庭で盛大に江戸大相撲が興行された。
この善光寺巡業を打ち挙げたあと、丹波島でなければできないことであり、当時の丹波島宿の勢いや繁盛を物語るエピソードである。
「朝陽館漫筆」にはこの興行も細川侯御前で行う献上相撲と同じように、御紋付紫の絹幕を張って行っている。当時の相撲番付の写しが残っているが、東大関柏戸、西大関雷電以下の取組みがあり喝采を浴びたとある。
大関雷電は前年の文化八年に引退したのに、なぜこの時の番付に名前が出て、しかも善光寺堂庭と同じ顔ぶれで興行したか脈に落ちなかった。そこで、「諸国相撲控帳」や「信濃力士伝」を調べたところ、引退した雷電が生国信州善光寺の土俵ということで、同郷の人々に引退を披露したいという、雷電の意向を汲んでの興行であったようである。
文化九年の番付にも時の西大関玉垣の上に位置して、玉垣は巡業番付の慣例を破って関脇とされている異例の番付表である。