囲み堤3
千曲川(須坂市)のようす。
また、ブログ囲み堤1で紹介した地蔵尊と堤防の写真です。
土手を見ると昔の人の苦労が伝わります。
囲み堤を調べていたらサイト(北陸地方整備局)に堤塘(ていとう)の記述(引用)がありました。
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村囲堤とは、氾濫による被害をさらに回避するため、集落周辺に盛土を築き、強い流れにも耐えられるよう手取川から、あるいは開墾によって出てきた石によって補強された一種の堤防です。堤防とはいえ当時の図をみると、河川堤防のように洪水を溢れさせないようにするというより、「集落に向かわないよう受け流す」よう配置されているのが特徴です。
村囲堤という言葉は、手取川治水事業に関する書物の中では「堤塘」とも表されています。堤塘という言葉は今では聞き慣れないものですが、古い登記簿にはいまなお「堤塘敷」などの表示が残っているものもあります。(略)
手取川治水事業に関する書物で堤塘と用いられているのは、村囲堤が地域的な呼び名であるのに対し、堤塘は「河港道路修築規則(※)」に記載されている当時の公称的単語であったからと思われます。(※明治6年に大蔵省連番外として通達されたもので全国の河川を一等・二等・三等と区分し、管理主体や国費負担割合等を定めた。旧河川法(明治29年)の前身にあたる。)
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現在、登記事項証明書の地目欄に「堤塘」は全く見られませんが、閉鎖された登記簿謄本(現在の登記事項証明書)を取るとでてくることがあります。
昔、倉庫前の道路(法地)と思われる地番の同謄本をとった時、地目欄(朱抹)に初めて見る「堤塘」があったのでうれしかったことを思い出しました。
<引用・参考サイト>
川北町(川北町と手取川)
https://www.town.kawakita.ishikawa.jp/
国土交通省 北陸地方整備局(手取川「霞堤」が土木遺産に認定)
https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/mb2_jigyo/river/dobokuisan/dobokuisan.htm


