弥生時代の測量技術
白馬村(2011.2撮影)から。川が雪で埋まっています。
下記写真は登呂(とろ)遺跡にある復元された高床(たかゆか)式倉庫(2011.9撮影)
稲、食料類を収納したと考えられています。建物の基礎は、水害やネズミから穀物などを守るため、高床式になっています。現地案内板によると、ここは水害被害に何回かあっているようでした。そういえば小学生の頃、ネズミ返しに板を付けると習いました。
~前回の続き~
ブログで水田の均平について書いていたら静岡県の登呂遺跡へ行ったことを思い出しました。登呂遺跡が有名になったのは、日本で初めて弥生時代の水田跡の遺構が確認されたからです。
過去に私のブログで登呂遺跡(古代米)を紹介してました。
弥生時代後期の集落では、小さい区画に分けた水田に古代米が栽培されていました。
古代米-土地評価のブログ
文献に弥生時代の灌漑(かんがい)についての記述があります。
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弥生時代の代表的な集落の遺跡として、静岡県の登呂がある。(略)おどろくべきは、登呂の灌漑(かんがい)技術である。登呂遺跡は安倍川東岸の低湿地に位置している。いわば一種の三角州である。いちばん高いところから遺跡の先端まで、その長さはニキロ。そして高低差は、なんと七メートルである。つまり二〇メートルをわずか七センチの高低差で水を流したのである。しかもその水は、ただ流れるだけではない。百町歩という水田をうるおしながら流れるのである。田と田との段差は、実にミリメートルの単位になる。まさに想像を絶する測量技術である。
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2000年前である弥生時代の測量技術に驚きました。
都合によりブログを休止します・・・。
<引用・参考文献>
樋口清之「完本梅干と日本刀」pp.137-138,平成12年
<参考サイト>
登呂遺跡
https://www.manabiya.co.jp/mana_ftp/meisyo/toroiseki/index.html