ボタンの由来
飯山市(2025.8.29撮影)から。


入院期間中、市川先生の本を読んでいたら小さな驚きがありました。
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日本に鉄砲を持ち込んだポルトガル人が上陸した門倉岬には、鉄砲伝来紀功碑が建っている。ところで、そのポルトガル人はもう一つ置き土産を残していった。突如現れた外国人に驚いた島の人々は、彼が着ている服に興味を抱き、見よう見まねで作ってみた。そこで初めてボタンというものを知ったのだった。人々はこれを南蛮服と呼び、ボタンの名はポルトガル語からそのままとった。
鉄砲伝来から六年後の一五四九年、今度はポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルがキリスト教布教のために鹿児島に来航する(日本で最初のキリスト教布教地として、鹿児島市にザビエル滞鹿記念碑が立つ)。このとき人々が最初に驚いたのが、船員の吸っていたタバコだった。実際に日本人が口にするのは先のことだが、人々は「腹の中で火を燃やしている」「まるで魔法だ」などとざわめき立った。ちなみにタバコはボタン同様、ポルトガル語からそのままとっている。このとき、フェルト製の帽子が初めて日本に持ち込まれた。これを最初にかぶったのが織田信長だと伝えられる。信長は舶来の帽子を得意気にかぶっていたという。以後ザビエルは日本にさまざまな文明をもたらした。その一つに時計がある。一五五一年、周防(山口県)での布教の許可を得るため、ザビエルは領主の大内義隆に機械時計を献上したのだ。
またこのときメガネも一緒に献上している。その甲斐あって、ザビエルはこの地域の布教に努めることができた。このときの時計やメガネは現存しないが、山口市では一九五二年、ザビエル来訪四〇〇年を記念して山ロザビエル記念聖堂を建てた。
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ボタンやタバコの話面白いですね、特に「腹の中で火を燃やしている」発想は現代人でもありません。それからフェルト製の帽子を私はよくかぶります。織田信長は近代的な発想を持っていたのかもしれません。
<引用・参考文献>
市川健夫「にっぽんの基礎知識 諸国名物地図」pp.202-203,東京書籍