土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

養遐齢(ようかれい)

写真は山ノ内町湯田中温泉の大湯のようす(2013)。

左側の石碑には、小林一茶の句が刻まれています。小林一茶は湯田中温泉に長期間滞在しています。ちなみに、この共同浴場は地元の人か旅館に宿泊した人しか入浴できません。


下記サイトには「文献に残る開湯は、1350年前(天智天皇の時代)、僧智由が発見し、この湯を「養遐齢(ようかれい)」と名づけました。※遐齢とは長命長寿のこと。」とあり、大昔から温泉として利用されていました。


写真中央に「養遐齢」とかかれた大きな木額がかかっていて、この木額の由来について文献(高井)ではこう説明しています。

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明治10年代(1877~86)には、湯田中温泉の大湯を囲むように旅籠屋は軒を並べていた。この大湯を新築し一層の繁栄を図ろうと、大湯管理者湯本五郎治は、まず第一に温泉の入浴法及び飲用等種々衛生に関する効能を明らかにし、第二に浴場の規模を宏荘にすることを企図した。(略)内務省衛生局東京試験所の権威者陸軍軍医総監松本順に、比い希なる名湯であると評価され、併せて鉱泉の分析・入浴法・飲用法の指南をうけて総湯家屋(大湯)を新築し、漸次各所の共同浴場を改築することとなった。
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また、下記記述もあります。
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湯田中大湯の木額「養遐齢」、男湯「養老」は、明治17年12月松本順(良順)が揮毫(きごう)している。19年11月25年湯田中温泉大湯の開湯式には、陸軍軍医総監松本順として出席している。
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幕末から明治にかけて活躍した松本良順(りょうじゅん)が来ていたことに驚きました。


松本良順(明治以降は順に改名)は、作家吉村昭の小説「暁の旅人」の主人公で、江戸幕末にオランダの医者ポンペから西洋医学を日本人として初めて学び、幕府の西洋医学所頭取を務め、会津藩で戦傷者の治療を指導した人物として知られています。ちなみに司馬遼太郎の「胡蝶の夢」も有名です。


明治になり、初代陸軍軍医総監に就任し、山県有朋に獣医学の必要性を説き、陸軍省に獣医部を創設し自ら馬医監となって軍医部の仕事を兼務したり、日本で初めて医師試験をおこなったり、佐賀の乱や西南戦争の戦傷兵の治療について指導したりしています。(暁の旅人)


後に、大磯海水浴場を開設したことでも知られています。
今回も昔、ホームページのブログで紹介していたのを焼き直しました。
<引用参考サイト>
信州湯田中温泉観光協会公式サイト
https://www.yudanaka-onsen.info/p/blog-page_43.html
<引用文献>
高井地方史研究会会誌,小布施竹男「高井127号」(蘭方医松本良順の「養生法」)pp.51-52,H11年4月
吉村昭「暁の旅人」pp.322~329,講談社

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