土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

吉村昭のブログ記事

吉村昭(ムラゴンブログ全体)
  • 英和辞典2

    長野市(2008.9.16)から。 吉村昭氏は江戸時代、船が漂流して無人島へたどり着いたり、外国の船に助けられて異国の地を踏んだりした漂流民の作品(実話)を数多く執筆しています。 たとえば12年におよぶ無人島生活の後に故郷へ帰還した「漂流」があります。1981年に同名で映画化もされました。 また、... 続きをみる

  • 洪水地の地名(昔の時刻)

    木島平村から。 小布施町を流れる千曲川の河川敷には「〇〇ノ起」の地名がみられます。 たとえば、「午(うま)ノ起」「戌(いぬ)ノ起」「巳(み)ノ起」などなど。 文献(信濃の巨流千曲川)に下記記述がありました。 ------------ 小布施橋を西へ渡りきった左岸の地籍を「寅之起(とらのおき)」とい... 続きをみる

  • 電話

    信濃町(2010.9.1)から。 電話の呼びかけに「もし、もし」と言います。 この「もし、もし」に語源があったことを前に、知りました。 文献(事物はじまりの物語)に下記記述(括弧は私の追記)がありました。 ------------ 明治維新後、役所につとめる吏員(りいん)は武家またはそれに準ずる人... 続きをみる

  • 一芸に秀でた人

    信濃町(2010.9.1)から。 学生の頃(41,42年前)、将棋部の同級生と将棋タイトル戦の対局(大山康晴永世名人VS中原誠永世名人)を見に行ったことがあります。両対局者の和服がきれいで整然とした雰囲気に圧倒されました。 帰りのエレベーターに乗った時、小説家として有名な阿佐田哲也氏が同乗されてい... 続きをみる

  • マッチ2

    飯山市から。 撮影当時(2009.8)、飯山市でもタバコの葉を栽培していました。 吉村昭氏のマッチに関するエッセイ(史実を追う旅)を読んでいたら下記記述がありました。 -------------- 江戸時代には日本にマッチはなく、燧石(ひうちいし)をたたいて火を起していた。すでに欧米では物にこすり... 続きをみる

  • 石けん

    石川県羽咋(はくい)海岸(2009.8)から。 当時、海岸を車で通ることができるので驚きました。 私が小さい時、洗濯機が地方に普及し始めた頃で、それまで母親がたらいに水を入れ、洗濯物を洗濯板の上にのせ石けんで洗っていました。当時、手や体を洗うのも石けんでした。 その後、家に脱水機能付き洗濯機がきま... 続きをみる

  • 匙(さじ)

    小谷村栂池高原(2010.8)より。 私が中学生の頃、レストランへ行くときは緊張しました。ナイフ、フォークの使い方が心配で。また、音をたててはいけないように言われました。 東京で修行時代(35年前)、師匠に西洋料理の草分けである上野精養軒(明治5年創業)へ連れて行ってもらえてうれしかったことを思い... 続きをみる

  • マッチ

    岡山県(2012.8)から。 我が家で、けむりのでる蚊取線香に火をつけるのはいまだにマッチを使っています。電池の切れた石油ストーブの芯に火をつけることにも。 私が小学生の頃(50年前)、マッチを使ってガスコンロに火をつける時、いつも不安でした。たまに大きくボンと燃えましたし。 文献(事物はじまりの... 続きをみる

  • コウモリ傘

    岡山県(2012.8)から。 私が小さい頃、傘のことを”コウモリ”と読んでいました。 コウモリは漢字で書くと「蝙蝠」ですから難しいですね。 昔、実家では夕方にコウモリが群れをなして飛んでいるのをみかけました。当時、気味悪かったことを覚えています。 文献に下記記述があり、納得しました。 ------... 続きをみる

  • ペリー来航

    中野市(2020)から。 江戸末期、ペリー来航がありました。乗組員たち約500名が27艘のボートに分乗して岸に着き水兵と陸戦隊員が上陸して整列しました。会議はオランダ語で行われ、日本側の通訳として前回ブログで紹介した森山栄之助が活躍しました。森山の英会話は会議に使うレベルに達していなかったようです... 続きをみる

  • 英和辞典

    長野市(2020.8)から。 今年の春、高校時代に使ったボロボロの英和辞典が実家にありました。懐かしさがこみ上げてきましたが残していても家族が困るので処分しました。高校卒業後、商社マンになって世界を飛び回る夢を抱いていました。 吉村昭氏は江戸末期、日本へ来たアメリカ人の小説(海の祭礼)を書いていま... 続きをみる

  • 写真機械2

    中野市(2016)から。 ~前回の続き~ 下記サイト(長崎WEBマガジン)によると長崎県立図書館前に上野彦馬の胸像が建っています。上野彦馬は坂本龍馬の写真を何枚か撮ったことで知られています。 坂本龍馬の有名な写真(立ち姿や左肘を台の上に置いた)をみると飾り台が写っています。 これは下記サイト(長崎... 続きをみる

  • 写真機械

    白馬村(2013.8)から。赤い作物は最近見かけなくなったジュース用トマトです。 江戸末期(天保10年)に写真機がフランス人によって発明(1839年)されてから3年を経て早くも日本人(上野俊之丞)の手に渡っています。そして、その子供(上野彦馬)が下岡連杖とほとんど同時に日本で始めて写真業を開いてい... 続きをみる

  • 養遐齢(ようかれい)

    写真は山ノ内町湯田中温泉の大湯のようす(2013)。 左側の石碑には、小林一茶の句が刻まれています。小林一茶は湯田中温泉に長期間滞在しています。ちなみに、この共同浴場は地元の人か旅館に宿泊した人しか入浴できません。 下記サイトには「文献に残る開湯は、1350年前(天智天皇の時代)、僧智由が発見し、... 続きをみる