土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

弥生時代

中野市柳沢(2007)から。

平成19(2007)年、中野市の柳沢地区で銅戈・銅鐸(どうか・どうたく)が発見されました。
写真は筆者が現地説明会で撮った銅戈(どうか)です。

文献によると下記説明があります。
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東西66cm、南北26.2cm(残存値)、深ざ17cmの穴の西側に銅戈群、東側に銅鐸が埋納されていた。
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ずいぶん狭い箇所に埋められていました。


この歴史的な発見は河川堤防工事の最中、重機で掘り下げたとき「カチッ」と音がしたので作業を止めてわかったそうです。50cm横にずれて違うところを掘り下げたら永遠にわからなかった(現地説明者の話)といいますから偶然の産物そのものでしょう。


また、銅戈や銅鐸といった青銅器は同文献によると
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青銅器を使ったマツリ
大陸や朝鮮半島で実用品として使われていた青銅器が、およそ2,200年前の弥生時代前期末に日本(北部九州)に伝わりました。その後、これらの青銅器は実用品から祭器(さいき)へと変貌し、日本国内でも製作されるようになりました
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昔は銅戈で戦ったらしく、その後、主に祭祀(さいひ)に用いられたようです。千曲川の豊富な砂鉄による鉄製品に武器としての役割は取って代わられたためでしょうか?


ここは写真の洪水水位標が示すとおり千曲川の水害地帯。よく流されなかったなと思いました。

改めて、弥生時代を意識しました。
<引用・参考文献>
長野県埋蔵文化財センター「掘ってわかった信州の歴史-長野県埋蔵文化財センター-30周年記念誌-」p.44,平成25年

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