土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

生麦事件3

小谷村(2010.7)から。
とにかく砂利が多い川(浦川)です。

~前回の続き(完結)~
吉村氏は薩英戦争について実は薩摩藩の勝ちだったと言っています。
文献(歴史を記録する)によると
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吉村「(略)生麦事件の翌年、薩英戦争が起こりましたね。イギリス艦隊七隻が鹿児島で砲撃した。あの戦いを冷静に振り返ると、五・五対四・五ぐらいの差で薩摩が勝っていますね。なぜなら、イギリスは旗艦の艦長も副長も戦死しているんです。人命を失ったのはイギリス側のほうが多い。だからあれは薩摩の勝ちだと思うんですが、薩摩はそうとらなかった。
半藤「あのあと攘夷から開国へいっぺんに変わっちゃう。」
吉村「アームストロング砲を見せつけられて。あれの射程距離は三千八百メートルです。薩摩の大砲は八百メートルだった。また銃撃戦もやっており、こちらは火縄銃で、向こうはライフル。薩摩の人は偉いなと思うのは、新式のものにさっと武器を切り替えちゃった。」
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大砲の射程距離が全然違ったようです。


ふと父が戦争時(1945年)、ソ連の捕虜となり「大砲の筒の大きさが日本と全然違うんだから勝てっこないと思った。」と言っていたことを思い出しました、私が小学生の頃に。
<引用・参考文献>
吉村昭「歴史を記録する」(吉村昭と半藤一利の対談)pp.110-111,河出書房新社

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