土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

写真機械

白馬村(2013.8)から。赤い作物は最近見かけなくなったジュース用トマトです。

江戸末期(天保10年)に写真機がフランス人によって発明(1839年)されてから3年を経て早くも日本人(上野俊之丞)の手に渡っています。そして、その子供(上野彦馬)が下岡連杖とほとんど同時に日本で始めて写真業を開いています。


文献によると下記記述があります。
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元祖写真術師上野彦馬
(略)
写真機というものは、人間の作り出したロマンにみちた器械だと思う。故人となった室生犀星氏は、カメラのことを終始「写真機械」と言っておられたが、なんとなくその言葉は詩的だと思った。(略)
薩摩藩主島津斉彬は、彦馬の写真撮影を耳にし、市木四郎右衛門に家臣二人を写真にとってもらうように命じた。どのように写るものかを見たかったのだ。市木は、ただちに二人の家臣をえらんだが、かれらは、「魂をもとってしまうという写真機械で大和魂がぬきとられては御先祖様に申訳が立たぬし、君命にそむくこともできぬ」という遺書をのこし、切腹して果てた。
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カメラを写真機械と言っていた時代がありました。また、江戸末期、写真をめぐる自決騒ぎがあったようです。


吉村氏はカメラのことを"ロマンにみちた器械"と言ってますが、小説家らしい表現ですね。


実際、私が小学生の頃(昭和40年代)、”写真を撮られると魂が抜かれる”という迷信がまだ残っていました。また、3人で写真を撮ることをためらう風潮がありました。


写真機械の響きは時代を感じさせます。
<引用・参考文献>
吉村昭「七十五度目の長崎行き」p.197,p202,河出書房新社,2009

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