土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

災害の爪痕3

小諸市のだんご石(2018.3)
周囲約22m・高さ約5mの巨石

江戸時代(寛保2年・1742年)、寛保の洪水(戌(いぬ)の満水)と呼ばれる超豪雨により長野県小諸市で土石流が発生し、城下町を襲いました。そして大水がおさまったある日、千曲川近くの畑の中に巨石が突然現れて、村人はこれを「だんご石」と名付けました。


文献(「戌の満水」を歩く)に土石流による小諸藩の被害状況(小諸洪水流失改帳)の記述があります。この洪水で本町が壊滅し、本町にあった本陣が市町(いちまち)へ移りました。今でも市町に重要文化財である旧小諸本陣が残っています。
流家373軒、同土蔵28軒、潰家42軒、流死584人、流馬23疋


歴史上、千曲川の大洪水として知られているのは仁和(888年)の洪水、寛保(かんぽう)の洪水(1742年)、善光寺地震後の洪水(1847年)ですが、1742年に起きた寛保の洪水は最も大きく1000年に1回と言われるほどの規模でした。水防法による洪水浸水想定区域の想定最大規模を1000年としているのも理解できます。


戌の満水は現代の新暦で8月27日~31日の間、滝のような豪雨が続いたようです。
千曲川だけでなく、関東平野を流れる利根川及び荒川でも被害が著しく、死者数は千曲川流域が約3,000人、関東平野が14,000人(諸説あり)と言われています。


文献(江戸幕府治水政策史の研究)によると江戸時代最大規模の洪水でした。詳細は「徳川実記」「寛保洪水記録」「大水記」など江戸時代の文書で流域別被害状況を記述しています。


だんご石が洪水後、突然現れる理由がわかりました。

<引用・参考文献>
信濃毎日新聞社出版局編「寛保2年の千曲川大洪水「戌の満水」を歩く」pp.10,46,2002年8月1日,協カー国土交通省千曲川工事事務所
大谷貞夫「江戸幕府治水政策史の研究」p.32,1996年,雄山閣出版
<参考サイト>
小諸市(旧小諸本陣)
https://www.city.komoro.lg.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkaijimukyoku/bunkazai_shogaigakushuka/2/1/1/bunkazai/kunisitei/718.html 
荒川を知ろう

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