土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

災害の爪痕1

長野市(2012.10)から

写真は長野市中条日下野の臥雲院(がうんいん・1328年建立)にある”臥雲の三本杉”のようす。斜め45度に傾いています。この杉は、長野市天然記念物に指定(S55.5.1・旧中条村指定)されています。指定理由が現地看板にありました。


「この杉は地上3mの所で分岐して三幹となるが、ここで周囲約11mを有し、中央の幹は周囲4.5m、長さ39m余ある。他の二幹はこれには及ばないが村内屈指の大杉である。かつて、上方約180mの地にあったのが、弘化四年(1847)3月24日の大地震に大地と共に滑り落ちたもので、四十五度に傾いているのはそのためである。樹齢は明かでないが、600年かと推定される大杉で、稀有の大震災の史実を物語るものとしても貴重な天然記念物である」

1847年善光寺地震(注)が起き、土砂と一緒に杉の大木が180mもすべり落ちたそうです。


臥雲院付近は地すべり防止区域に指定されていますが、土砂災害警戒区域(地すべり型)には指定されていません。また、臥雲院北側周辺は法律の規定に基づかない土砂災害危険箇所(地すべり危険箇所・国土交通省通達)にも指定されています。


文献(善光寺地震に学ぶ)によると「臥雲院の境内には、背後の山から崩れてきた凝灰角礫岩の巨礫が転がり、鐘楼堂の脇には小さな丘状の地盤が顔を出している。臥雲院の右手側の斜面には水道の配水池や道路がつくられている。この斜面には泥岩が分布し畑となっているが、上方から杉を載せたまま滑り落ちてきた斜面である」とあり、大地震の爪痕を今に残しています。


文献(中条村誌)によると地震の年は、松代藩主(真田幸貫)が山中の村々を巡見(4月7・8日)する予定でした。そのため諸役人が各村々へ出向いて、宿泊、道路修理や橋普請などの仕事の指揮に当たっていました。地震の惨状は、念仏寺に宿泊していた代官の手代が松代藩家老に語った話(むしくら日記)が基になっています。


この場所(臥雲院)は、車酔いするほど山道を登った所(標高約827m)にあります。藩主が巡見するときの準備はたいへんだったことがよくわかります。


(注)弘化4(1847)年、マグニチュード7.4の内陸直下型の善光寺地震が起きました。文献(信濃毎日新聞社編集局「活断層を歩く」P.33,1998年)によると地層ボーリング調査の結果、善光寺地震クラスの地震周期を950年とはじき出しています。


今回、旧ホームページのブログ(2012.11)「善光寺地震8」を焼き直しました。
<引用文献>
赤羽貞幸・北原糸子編著「善光寺地震に学ぶ」27p,信濃毎日新聞社
「中条村誌」1233p

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