土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

相撲追善碑

山ノ内町から(2008.3)

飯山市蓮の飯駒にある追善碑(昭和2年8月建立,2008.3撮影)

2008年2月、高校クラブの先輩と歴史の話になったとき「知ってる?飯山出身の有名力士を?」と言われ、「先輩、飯山に関取がいるはずがないでしょう」と思わず。


それに先輩が「秋津に記念碑まで建っているよ」と。それで調査したらありました。その碑(力士武蔵野弥助碑)が。


この力士(武蔵野弥助)が一部の人に知られているのは、平田弘史氏が漫画「武士道光芒記」第六話で弥助の生涯を描いていることもあるでしょう。


文献(信濃力士伝)によると
[碑文中の「大阪巡業中、義ノ為ニ歿ス」ということだけで、これは、大阪巡業中、某大名の息子が、土俵上で放尿したが、他の力士たちは大名の権威を恐れて黙視していたとき、武蔵野だけが、神聖な土俵を汚す不心得者とばかりなぐりつけ、即日お手討ちになったということであり、正義感の強い力士であったことが窺える。]
とあります。


事情はわかりませんが、昭和になって有志たる相撲協会理事(入間川・中立・二所ノ関・谷川)達が顕彰碑を立てたのかもしれません。


幕内番付表(安政六年一月場所)によると最高位は東前頭5枚目で、その場所に2勝3敗4休の成績を残したまま、上記の事情で番付面からその名を消しています。


これからというときに。時代は違いますが男気を感じてしまいます。


今回は旧ホームページのブログ(2008.3)を加工して掲載しました。
<引用・参考文献>
引用参考文献:中村倭夫「信濃力士伝 江戸時代篇」pp.192,196,甲陽書房

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