土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

しまんりょ小路

長野市(2012.12)から。

長野駅から少し離れた所に「しまんりょ小路(しまんりょこうじ)」と呼ぶ通りがあります。市道認定があり全長約200m、道路幅約4mの両脇には各種店舗が建ち並ぶ繁華性の高い商業地域(容積率500~600%)です。


文献(善光寺古道を歩く)を読んでいたら通り名の由来が紹介されていて納得しました。なお、類似の記述が長野市誌第八巻(p.67)にもありました。
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島の寮こと栽松院
西光寺の並び、中央通り新田町交差点の少し手前にあるのが栽松院(さいしよういん)。この寺は天文年間(1532-1554)、問御所の造り酒屋で庄屋の菊屋山崎七郎右衛門が、持仏の如意輪観音を寮(観音堂)に祭ったのに始まる。後に菊屋の菩提寺として本堂が建立されて、栽松院と命名された。(略)
この寮は、中央通りの西側から東側へ、寺の北側を横切って流れる南八幡川が寺の前で北側の本流(地元では大川と呼ぶ)と南側の栗田堰とに分かれ、その二つの川に挟まれて島のような中州にあったことから島の寮と呼ばれていた。栗田堰に沿ってあった道を島んりょ小路と呼んだ。島の寮が島んりょと訛ったものらしい。
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島の寮→しまんりょ
と訛ったようです。


現在、南八幡川(用水路)は暗渠になっていて川上は道路になっていますから中州にあったことは想像できませんでした。「しまんりょ小路」の呼び名の由来を知って歴史を感じました。
<引用・参考文献>
離求庵「善光寺古道を歩く」pp.170-171,2006年

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