土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

馬市

中野市安源寺の小内八幡神社(おうちはちまんじんじゃ)参道から。

参道脇にある馬市の記念碑

小内八幡神社には幅約15メートル、長さ約200メートルの参道があり、珍しいケヤキを中心とした並木(市の一部天然記念物)通りになっています。現在、参道がバイパス道路により分断されています。
江戸時代から昭和29(1954)年まで、この場所で馬市が開かれていました。


小内八幡神社のサイトによると
「九月の例祭を挟んで二週間開催された馬市は日市も併せて開かれ、木曾の漆器類も見られました。県外からも多く集まり、時の田中角栄首相も馬子として参った記録も残ります。」
とあります。


文献(保存版 須坂・中野・飯山の今昔)に下記記述があります。
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安源寺の馬市(中野市・昭和28年頃)写真(略)
江戸時代から安源寺の鎮守祭には馬市が開かれ、近郷の馬喰(ばくろう・馬を売買する人)をはじめ、見物客でにぎわった。戦後も馬市は続いたが、耕転機・軽トラックなどの普及により、馬市は昭和29年で終わった。


馬市と草売り娘(中野市・昭和14年)写真(略)
戦前の馬市は、祭りの2、3日前から始まった。馬は新潟や秋田・山形から、馬喰が列車に乗せて連れてきた。馬の飼料は糠や青草。その青草は、女子青年団が山へ行って刈り集め、馬喰に売ってまわった。小遣いになるので、彼女たちは連れだって草売りに参加した。
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東北から馬を連れてきていたことや草売り娘がいたことには少し驚きました。たしかに祭りの間、馬たちの食料が多量に必要です。


1996年農家で牛5頭にモロヘイヤの実のついた枝を与えたところ、3頭が死亡する事故が発生したことをふと思い出しました。現代においては野生に生えている草だから何でもいいわけではなさそうです。
<引用・参考文献>
中野市誌編纂委員会「中野市誌 歴史編(後編)」p.122,昭和56年
湯本軍一監修「保存版 須坂・中野・飯山の今昔」p.118,2004年
<参考サイト>
小内八幡神社
https://www.ouchihachiman.com/blank
東京都保険医療局 モロヘイヤ
https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/anzenjoho_index.html

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