土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

山の役割(江戸時代)

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


長野県山ノ内町の奥志賀高原のひとこま(2006/2/10撮影)。カーブミラーが雪で埋まっています。それでもミラーだけは顔をだして役割を十分果たしています。


上から2枚目の写真は「週間アスキー2006.3.28」DPフォトコンの※「今週のあと一歩」に選ばれてうれしかったことを覚えています。当時は「屋根付き?カーブミラー」の題名で応募してました。
※惜しくも入選を逃したものの、光るものがあった作品を紹介

ここは志賀高原の北方に位置し、近くに国土地理院の一等三角点がある岩菅山や1998年長野オリンピックの競技コースがあった焼額山があります。この道を行くとブナ林で有名な木島平村のカヤノ平があり、さらに進むと野沢温泉村へ。ちなみに佐久間象山(江戸時代)はこの道を通り、途中から栄村切明に行ったそうです。もちろん冬ではありませんが・・・。
途中まで寄り添うように流れるのが雑魚川(ざこがわ)、渓流釣りで知らない人はいないというくらい有名でしょう。:


ところで、この辺の山林のことを地元の人は御林(おはやし・御林山)と読んでいます。
文献によると「御林には、たとえぱ尾張藩木曽山における「留山」(とめやま)のように、住民の立ち入りいっさいを厳禁する禁林と、同じく木曽での「明山」(あきやま)のように領主が指定した禁木だけを、厳重に取り締まって他を許可利用するものなどの別があった。北信の幕府や松代藩の御林には、明山に類似した、公用林備林を確保したうえで、他の樹林や下草の利用を運上・冥加金を代償に民間に許す制度をとっているものが多い。いずれの場合にせよ、御林は多く林相(りんそう)にすぐれ、立木(りゅうぼく)蓄積の豊富な山林を対象に設定された。」と記述。


材木になりやすい、いい山を幕府や藩が所有したため、住民の利用できる範囲は限定されていたようです。栄村(志久見山)や野沢温泉村に鷹を保護した御巣鷹山(おすたかやま)があるなど江戸時代は山にもいろいろな役割があったようです。


今回は、ホームページ(閉鎖)のブログ(2006年7月14日)に「志賀高原5」の題名で記載していたのをリメイクしました。
<引用・参考文献>
「山ノ内町誌」pp.667-678,昭和48年発行

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