土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

既存集落(50戸連たん)

中野市から

今日のプログは、不動産に係る仕事をしている人以外難解でわからないかもしれません。


市街化調整区域内の既存集落において通常「50戸連たん」と呼ばれる規定が全国あちこちにあります。昔、どうして50戸をひとつの集落規模と考えているのか疑問に思ったことがあります。


たとえば長野県の開発審査会運用基準(都市計画法第34条10号ロ及び都市計画法施行令第36条第1項第3号ホ)に「既存集落」の下記定義があります。
「既存集落 市街化調整区域において地形、地勢、地物等からみた自然的条件及び地域住民の社会生活に係る文教、交通、利便コミュニティ、医療等の施設利用の一体性その他からみた社会的条件から一体的な日常生活圏を構成している集落で、建築物の敷地相互間の距離が原則50メートルを超えない間隔で連続して存在し、おおむね50以上の居住の用に供する建築物が存在している区域の外周線をもって形成される区域をいう。」


ある時、文献を読んでいたら下記記述がありました。
長野市誌によると
「『和名抄』によると、信濃六七郷中、九郷ともっとも多いのは更級郡である。九郷中、今里村は斗売(とめ)郷、四ツ屋村は水内郡芋井郷(のち篠井荘)、上氷鉋村は氷鉋郷(のち篠井荘)に属した(『町村誌』)。郷は律令国家の地方行政組織の末端単位の村落である。律令制ははじめ五〇戸を単位とした「里(り)」を編成した。里制は霊亀元年(七一五)式(施行細則)により郷に改名しその下に里を置くことにしたが、天平十二年(七四〇)に「里」を廃止、以後郷制とした。郷は五〇戸編成ということから、その郷域がはっきりしていないが、自然村落のいくつかによって編成したといわれる。『和名抄』成立の承平年間(九三一~九三八)、川中島地区には斗売郷・芋井郷・氷鉋郷三郷が所在した。」


律令制は初め50戸を一つの単位(里)にしたといいますから、1戸当たり3人とすると150人程度がひとつの集落規模だったのでしょうか。調整区域内の集落で古いものは平安時代からありますから何かわかるような気がします。
ただし、これは私の推測にしかすぎませんのでご注意を。


今回は、ホームページのブログをしていた2007年4月に「50戸連たん」の題名で記載していたのを要約しました。


<引用・参考文献>
「長野市誌第九巻」p.654,長野市,平成13年

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