土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

小布施栗

小布施栗のようす。


大きさに驚いて計測したところ横が5cm強、縦が4cmくらいありました。なかなか一般には手に入らない栗で、日頃懇意にしているリンゴ屋さんから昔(10年前)、手に入れたものです。
下記サイトによると4Lサイズに相当します。
城川ファクトリー
https://item.rakuten.co.jp/shirokawa/namaguri2l1kg/


文献(信州学ノート)に下記説明があります。
「小布施の栗栽培の歴史は、中世にさかのぼる。伝説の上では空海(弘法大師)が各地を巡礼した際、小布施に適する栗を植え、そこが親木という地名となったといわれている。また、室町時代初期、荻野常倫(おぎのじょうりん)が雁田山に二十端(ふたばた)城を築いた際、旧領であった丹波国から栗を移植したと伝えられている。


いがこてら都へ出たり丹波栗
都でも引はとらぬや丹波栗


小布施栗を丹波栗と詠んでいる一茶をみると、幕末には丹波栗説が有力であったことがわかる。史料的には荻野氏の存在が確認されていないが、丹波栗が伝播されたことは事実であろう。林組の平松快曲氏所蔵文書に「言伝記」があるが、これによると一六世紀末の永禄・天正のころには、相当面積の栗林があったと思われる。
現在の小布施の大部分は、江戸時代幕府の直轄地(天領)であった。一七世紀初め徳川家康の養女小松姫が、松代藩主真田信之に嫁するにあたり、栗林を化粧料として与えた。以来松代藩が栗林を管理することになった。松代藩は「栗御林御用掛」という村役人を置き、掟を設けて、栗栽培をきびしく管理した。


拾われぬ栗の見事よ大きさよ


この一茶の句は、献上栗を貢納するまでは食べることも自由にならなかった、封建時代における規制を皮肉ったものである。」


小布施栗は丹波栗に由来していました。栗の大きさは昔から人を魅了するようです。
<引用・参考文献>
市川健夫「信州学ノート」pp.30-31,社団法人信濃教育会出版部,1994

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