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不動産鑑定士の日々

歴史小説2

茅野市(2017.12)から。
白樺湖が見えます。

先日、歴史小説「秀吉私記」を読んでいたら、「美濃大返し」について行軍と間口の面白い記述がありました。


豊臣秀吉は中国地方を短期間(約230km・10日間)で戻った「中国大返し」が有名ですが、「美濃大返し」も有名だったことはあまり知られていません。私も知りませんでした。


百科事典ウィキペディアによると
美濃大返し(みのおおがえし)は、賤ヶ岳の戦いの際に羽柴秀吉が美濃国大垣(岐阜県大垣市)から近江国木之本(滋賀県長浜市木之本町)までの13里(約52km)の道のりを5時間でかけぬけた大掛かりな軍団移動のことをいう


同文献に
「大垣を出発した一万五千の将兵たちは、戌の下刻(午後九時)ごろまでにすべて木之本に到着していた。十三里を二刻(四時間)で疾走するという驚異的な電撃作戦は成功し、本陣を襲われた勝家は命からがら北ノ庄城に逃げ帰った。美濃大垣から木之本への猛スピードの行軍は"美濃返し"とよばれ、それが決定打となり、秀吉は勝家を破った。」
とあります。
百科事典ウィキペディアでは5時間(時速10.4km)、文献では4時間(時速13km)ですが、どちらもすごい短時間(マラソン世界記録時速20.8km)であることは間違いありません。


また、同文献に
「秀吉の使番は、すでに先行し、大垣から木之本までの村々に触れ、各家に間口一間につき米一升ずつ炊かせ、兵粮支度を命じていた。百姓たちは炊いた米や、兵粮、松明などを、馬車、牛車で木之本に運びこんだ。それに対して時価の十倍という、おどろくべき高値で買い取ったので、沿道の住民たちはよろこび勇(いさ)んで協力した。」
とあります。


間口一間につき米一升を炊かせていたとは・・・。
間口はこんなところにも利用されていました。


<引用・参考文献>
津本陽「秀吉私記」pp.54-55,講談社文庫

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