土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

義仲ファン

高山村(2007.12)から。

今年最後のブログになります。今年もありがとうございました。来年の再開時期は未定です。
私は木曽義仲ファンですが、歴史上有名な大ファンがいます。
一人目は松尾芭蕉、二人目は芥川龍之介
文献(北国街道を歩く)によると下記記述があります。
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義仲と芭蕉
義仲終焉の地に里人らによって義仲塚が建てられ、天文二二年(一五五三)義仲寺が建立された。(大津市)
芭蕉はこの悲運の武将に心を牽かれ、たびたび訪れた。義仲という武人に俳人芭蕉が共感したのは何であったのか、おそらく義仲のひたむきな生き方にだったのではないだろうか。


義仲の寝覚の山よ月悲し  芭蕉


芭蕉は元禄七年一〇月一二日旅先の大阪で亡くなった。五一才
遺体は遺言により義仲寺に葬られ、二人は並んで眠っている。


木曽殿と背中合わせの寒さかな  又玄(ゆうげん))
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木曽義仲と松尾芭蕉の墓は、滋賀県大津市の義仲寺(ぎちゅうじ)にあります。


文献(木曽義仲)によると芭蕉の句(上記)は「義仲のはかない生涯を偲ぶと、月の光も芭蕉にはもの悲しく思われたことであろう。」と解説しています。ちなみに義仲は31歳で亡くなっています。
文献(木曽義仲)筆者は芭蕉が義仲の「ひたすらな人間としての生き方」にひかれたのではないかと推測(下記引用)しています。
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義仲という武人に、俳人芭蕉が共感したのは、おそらく、義仲のひたすらな人間としての生き方だったにちがいない。
芭蕉が最後に到達した俳譜の境地は、武人一筋に生涯を駆けぬけた清浄無垢な義仲と共に在ることが、心の安らぎを得ることであり、芭蕉の心象だったかも知れない。
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2 芥川龍之介
芥川龍之介は、東京府立第三中学校在学中に木曽義仲に関する評論「木曽義仲論」(学友会誌)を執筆しています。総文字数は34000字を超え、難解な長文になっています。
一度読んでみましたが、よくわかりませんでした。ファンであったことは間違いなさそうです
<引用・参考サイト>
傳田重義「歴史の道 北国街道を歩く」p.210,平成12年,信毎書籍出版センター
田屋久男「木曽義仲」pp.226,228,平成4年,オフィス・アングル
<参考サイト>
滋賀・琵琶湖-観光情報- 義仲寺(ぎちゅうじ)
https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/410/
青空文庫 木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌) 芥川龍之介
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/81_14934.html

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