土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

二線路通り

長野市(2012.11)から。

長野駅から少し歩いた所に二線路(にせんろ)通りがあります。初めて通った時、変わった名前だなと思いましたが、深く考えませんでした。
先日、文献を読んでいたら一線路、三線路があったので長年のわだかまりが解消しました。
文献によると下記記述があります。
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駅舎だけだった駅前には、開運会社(運送業)や中牛馬会社(運送業)などが店開きした。また大門町の藤屋、山屋、五明館といった老舗の旅館も、列車で乗り降りする団体客(講中など)を世話するために駅前支店を出店し、駅前に末広町が形成されていった。道も駅から一線路(末広町通り)、二線路(シーワン南側の通り)、三線路(千歳町通り)の三本の道が放射状につくられた。今も二線路は「二線路通り」と昔の呼称で呼ばれている。
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長野駅は1888年(明治21年)開業しています。当時、駅舎は栗田村(芹田)の田んぼの真ん中に建てられたようです。その後、諸国からの善光寺参りをする人は激増して、駅前が発展していきました。


引用文の中で講中(こうじゅう)とは国語辞書によると「講を作って神仏にもうでたり、祭りに参加したりする信仰者の集まり。」だそうです。
江戸時代から盛んになった講とのこと。いろいろな講があるものです。
<引用・参考文献>
離求庵「善光寺古道を歩く」p.163,2006年

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