土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

伊勢社

白馬村(2012.11.16)から。

千曲川沿いには伊勢社と呼ばれる祠(ほこら)がよくみられます。また、犀川沿いや他の河川沿いにも。


文献に下記記述(長野市松代町岩野地区)があります。
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写真7-2岩野地区に続く伊勢講の講帳(略)
千曲川沿岸に位置し、洪水の被害地であった岩野集落には享保14年からの伊勢講の講帳が残されています。講帳には享保13年8月17日に起こった水害で家屋敷が大きな被害を受けたため、川除祈祷の為に伊勢神宮へ代参を立て、講を結成したと記されています。かつては伊勢神宮も水除けの神として信仰されていたことがわかる資料です。
中世から近世には天照皇大神を祀る伊勢神宮を勧請して水除けの社として祀る信仰がありました。水害除けとして伊勢社を祀ったり、伊勢へ代参に行ったという話は「松代藩堂宮改帳」(元禄10年)や『長野縣町村誌』の中にも出てきます。(略)
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江戸時代、伊勢神宮を水除けの神として伊勢社が祀られていました。また、伊勢講という講がありました。講があるのは当時、三重県にある伊勢神宮まで往復する旅費、交通費などみんなで負担する仕組みが必要であったからでしょう。


長野県災害年表によると享保の時代(1717~1735年)は千曲川、天竜川等で水害が14回と数多くありました。その時代は、将軍徳川吉宗によって主導された幕政改革(享保の改革)で有名です。


前に川が近くにない地域に伊勢社があるので不思議に思いましたが、旧河川(旧裾花川)流路沿いにあったので納得したことがあります。
<引用・参考文献>
長野市立博物館編「第46回特別展 長野盆地の10万年-暮らしと環境のメッセージ-」pp.65-66,平成13年
<参考サイト>
長野県 長野県災害年表
https://www.pref.nagano.lg.jp/sabo/manabu/documents/sabou-p-001200-5.pdf

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