土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

網状流路の面影

小川村(2012.11.16)から。

先日、地盤の本を読んでいたら「網状流路」の読み方が「もうじょうりゅうろ」となっていたので長年の間違いに気づきました。網状を”あみじょう”と思いこんでました。


網状流路とはウィキペディアに説明があります。
「網状流路(もうじょうりゅうろ)とは、川筋が幾本にも分かれて、川の中に比較的不安定で小さな島を作った状態で流れ、まるで川が網の目のように流れている状態のこと」


長野市に七瀬という地名があります。この場所は、かつて裾花川(すそばながわ)が乱流(七つの瀬)し、河原地であったためにつけられた名称であるといわれています。したがって、昔の裾花川は七瀬付近において網状流路であったものと推測されます。


現在、長野県庁西方にある裾花川は、南北に直線状で流れていて千曲川支流の犀川へ注いでいます。昔の犀川は五瀬(高瀬・中瀬・四ツ瀬・原瀬・御幣瀬)の流れがあったそうです(小市史)。
慶長八年(1603)から十年にかけて、長野市街地を耕地とするため松代城代花井吉成によって曲がっていた流れを直線(現在の流れ)に改めたそうです(小市史)。


流路を変えると旧河川地であった記録や伝承が残ります。
たとえば長野市誌に小牧地区の下記記述があります。
・天文二年(一五三三)裾花川洪水のさい、二本の木が漂流して古牧地区にある長池神社(三陽中学校脇)に止まり、当社に納め合祀したこと
・国道18号沿いにある芋井神社(上高田)の境内前方は旧裾花川河川敷跡だったこと。


前に地元の人から”古牧地区(高田)には近くに川がないにもかかわらず字名が「川端」になっている箇所があるので不思議に思っていた。”と聞きました。


現在、七瀬周辺には前堰、計渇川のような水路はみられますが、川は流れていません。川があったことは今では信じられませんが、旧流路一帯が周知の埋蔵文化財包蔵地たる裾花川扇状地遺跡群に指定されていますから面影を感じます。
<引用・参考文献>
「長野市誌第八巻」pp.194,.240,平成9年
川瀬準治「小市史」pp.160-162,昭和59年
NPO住宅地盤品質協会「住宅地盤調査の基礎と実務-地盤をみる-」2014年9月

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