土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

ぱちんこ台

高山村から。

子供の頃(約53,4年前)、自宅にパチンコ台が1台ありました。父が廃棄する台を譲り受けたものだったと記憶しています。レバー又はハンドルを下に押すと玉が上がり、釘の中を流れて下の穴に吸い込まれます。たまに、途中にある箱形の穴へ入った時(業務用は玉が追加して出てくる)はうれしかったことを思い出します。
当時、豪雪で外へ遊びに行けないため、一人疑似パチンコを楽しんでいました。


前のブログで建築基準法はパチンコを「ぱちんこ」と表記している理由を書きました。
外来語の表記(土地評価のブログ)
https://muragon.com/dashboard/confirmEntryUpdate


文献を読んでいたら下記記述がありました。
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昭和十年「一銭を狙うパチンコ新商売」どこもここも不景気の呻(うめ)き声ばかりの中に豪勢な新商売が出現した。それがパチンコ屋さん、旧〇東之門に只一軒初めてお目見得してから権堂で(十年)二軒目が店開き(十二年四月には五軒になる)し、それがまたおすなおすなの賑わい、子供達ばかりでなく大人の人気迄さらってしまった繁昌通り。
このパチンコ正面の穴から一銭銅貨を入れるとその重みで自動的に玉が出てる、そこでハンドルをパチンと押すと玉がはね上がって当たりか外れかなり、当たると何回でも継続出来る仕組みで、一銭一銭でつり込まれていくところがこの商売の特徴。
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1935,1936(昭和10,11)年頃は一銭ごとに銅貨を入れて子供も楽しめたようです。一銭を狙うパチンコが豪勢な新商売と表現したのもわかります。


そういえば昔、1円パチンコが流行っていました。1円=1玉の時代がありましたが、今も数量限定であるようです。
<引用・参考文献>
権堂町史編集委員会「長野市 権堂町史」pp.175-176,平成5年

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