土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

古い地名8(三才)

しなの鉄道「三才(さんさい)」駅から。

駅は長野市三才(さんさい)にあり、周辺の地名は西三才、上駒沢(かみこまざわ)、下駒沢(しもこまざわ)がみられます。七・五・三の記念や旅行の帰りに、三才児を持つ親がこの駅に来て、記念写真を撮っている姿を見かけます。


下記文献(二十年の歩み)に随想が掲載されていて、「三才」という地名の由来の記述がありました。
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三才という地名について
(略)この付近には駒沢という地名があり、また桐原の藁馬(わらうま)でも知られているように、馬に関係したことが非常に多く、官牧といって京都にあった中央政府の牧場があったようである。要するにこの辺は民需・軍需に重要な良馬の生産地であった。(略)


私も長い間、馬を飼育した経験はあるが、馬の使役できる年齢は通常三歳から十七、八歳位までであって馬の場合、三歳とは人間でいうなれば、ちょうど成人式を行う年齢に当たり、二十歳前後となる。この三才という地名は、要するに、この三歳になった良馬を多く生産し、出荷できる最も重要な所という由緒ある地名であったのである。(略)
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また、同文献に「三才」や「三歳」の地名が約700年前から登場している記述(歴史文書)がありました。
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では私たちに身近なサンサイという地名が、文書に現れるのは何時からであろうか。最も古いものとしては、今から660年程昔の鎌倉時代に、諏訪神社上社の造営に寄進した時の目録に「外垣一間、三歳、狩箱」と書かれてあり、三歳は今の三才に、狩箱は金箱に相当する。更に「関が原」の戦いの後、徳川家康から北信一帯を与えられた武将、森忠政が慶長7年(1602年)に行った「信州川中島四郡検地打立帳」(納税のための耕地面積等の調査)に、三才という地名が登場する。
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「三才」は現代の人がつけたのではなく、江戸時代前からある古い地名だったようです。
<引用・参考文献>
長野市西三才区編集・発行「二十年の歩み」(随想は堀米和雄氏執筆),pp.12-13,平成6年

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