土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

北アルプスの山々

黒部川上流の黒部ダム(2009.5)から。

文献(北アルプス大紀行)に北アルプスに連なる山々の名前の由来について説明があります。参考となった山々をご紹介(カギ括弧引用)します。
<朝日岳>
「越中の古からの名称は「えぶり岳」(恵振り岳)。恵振は農具の一種でこの山にその雪形が出からの名、朝日岳は越後側の呼称で朝日がこの山に一番早く当たるから。」


恵振り=エブリは田植前、水の入った田の土を平らにならす農具をいうそうです。
昔の人は、田植え前の作業で北アルプスを眺めて雪形を楽しんでいたのでしょう。


昔、山の名前は望む県によって違っていたようです。現在、朝日岳は付けられやすい名前のためか全国に数多くみられます。


<野口五郎(のぐちごろう)岳>
「野口は、大町市「野口入りの」という地名表示の言葉、五郎は人名ではなく岩や小石がごろごろしている地質を表す言葉。越中側の古称は「火打ヶ岳」。」


私は高校生の頃、地図に「野口五郎岳(標高2924m)」や「野口五郎小屋」があったので、てっきり有名歌手の名前をつけたものとばかり思っていました。調べてみたら地質を表す「五郎」とつく山は、ほかに黒部川上流に「黒部五郎岳」があります。


<針(はり)ノ木岳(標高2821m)>
「春の木=榿(ハンノキ)からの変化でここから流れ出す沢に山榿が多いからの名。命名は明治四三年ここを縦走した中村清太郎の一行。越中側の絵図にはこの山の辺とおぼしき所に「地蔵岳」を画いた図もある。」


1584年真冬に針ノ木峠越えをした佐々成政の伝説があります。成政は家臣50人と富山県立山からザラ峠(標高2342m・別名:サラサラ峠・佐良峠・佐良佐良峠)を越え、さらに黒部川を渡り、一匹の鹿の飛び去った跡を慕いて針ノ木峠(標高2536m)を越えて長野県大町市平の大出(野口の里)地区へでました。その際、成政は大姥尊を村民に寄進(西正院)しています。また、成政は峠越えで病にかかった家臣松澤新助に御尊体と栗を与え郎党一人を付き添わしました。その御尊体が小谷村来馬の西方堂に安置されています(大町の伝説)。


文献(大町の伝説)によると下記の伝承があります。
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高瀬川の上流、今東信電気会社の第三発電所のある笹平(ささだいら)は実は佐々平で成政が辿り着いた平らという意味だとも言われている。付近には笹が多い。また七倉岳の前山に鳩峰という山があるが、これは、成政が七釜の難所に出てしまって進退窮まった時に、鳩が飛んで来てこの山に下りたので、人里の近いことを知り力を得て北葛沢に下ることができたからだという。
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往路や復路など諸説あるようですが、伝承が数多く残っていることから成政の峠越えは真実(往路)のような気がしています。


<引用・参考文献>
責任編集 田中欣一「北アルプス大紀行」pp.48,50-51,2008年,一草舎出版
大町民話の里づくり もんべの会「語り継ぐ 大町の伝説-全380話-」pp.39-42,平成19年
<参考サイト>
村の暮らしと道具 エブリ
http://koichikato.world.coocan.jp/minpou/minpou2003/minpou2003.6.29/newpage8.htm

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