土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

洪水地の地名2(土手)

飯綱町(2010.9)から。

千曲川の古い堤防地(昭和以前に造られた堤防)に「土手」「土堤」の字名が見られます。
たとえば千曲川周辺には土堤外、土手外、土手南、土手外西沖、村北堤防合、道木堤など堤防を示す地名が数多くあり、沿岸住民が洪水を防ぐ目的で造った跡がうかがえます。


堤防の内と外は、河川側(河川敷)を外、集落側を内といいますから、土手外という場所は河川側を指します。


私の経験上ですが、旧堤防の形状は帯状で細長かったり、楕円形であったりする特徴があります。また、堤防の字名は接続(例:上土手外と下土手外)していたり、独立していたりします。昔ですから長い堤防は造れなかったのかもしれません。


文献に「土手」の説明があります。
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字の一覧の中に表1のように土手と書かれた字がある。これらはほとんどが内務省堤防と呼ばれる現在の堤防以前に造られた霞堤(かすみてい)と呼ばれる堤防である。霞堤とは不連続に設けた堤防で、洪水の一部を堤内地に流入させ洪水時のピーク流量を逓減(ていげん)させる効果をもたせたものである。霞堤の下流側の先端から堤内地に入る洪水の氾濫区域を限定し、大きな災害とならないよう地形に合わせて堤防を重複させた。
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また、下記サイト(国土技術政策総合研究所)にも霞堤の説明があります。
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霞堤の歴史は古く、戦国時代の武田信玄が考案したと言われています。 霞堤の名前の由来は、堤防が折れ重なり、霞がたなびくように見える様子からこう呼ばれています。
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同サイトに霞堤の図が掲載されていますので参考までに加工図を作ってみました。堤防の切れている箇所から水が流れ出る仕組みです。千曲川に現存する霞堤は13箇所(国土交通省サイト)あるようです。


確かに霞がたなびくように見えます。


令和元年10月に千曲川の霞堤から洪水が市街地(千曲市)の広い範囲に被害をもたらしました。堤防の低いことが多い霞堤は限界があるようです。


<引用・参考文献>
国土交通省千曲川河川事務所「千曲川・犀川に見る 川と人の営み」p.76
<参考サイト>
最上川電子大事典(国土交通省 東北地方整備局 山形河川国道事務所)
https://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/river/enc/index.html
国土技術政策総合研究所:霞堤(かすみてい)
国土交通省(第3章 河川の現状と課題)
https://www.hrr.mlit.go.jp/shinage/shinano-plan/plan/pdf/3syou.pdf 
信濃町(2010.9)から。

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