土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

サツマイモ栽培

中野市梨久保(2016.6)から。この時はいい写真が撮れました。

飯山市誌を読んでいたら下記記述が目に止まりました。
「この道筋を通行した記録のひとつに、寛保元年(一七四一)六月青木昆陽の通行がある。昆陽は儒者・蘭学者であり、甘藷先生の名があるが、幕府の「御書物御用達」として古書・古記録採訪のため、信州小諸から北国街道を上田城下に下り、須坂・中野から野沢まで行き、さらに飯山から北国街道筋の古間に立ち寄っている(米山一政「青木昆陽の古文書採訪」『信濃』八巻一〇号)。」


また、市誌の歴史年表に
「寛保元年2.27改元(1741) 青木昆陽、文書調査のため飯山藩を訪れる。(略)
延享元年2.21改元(1744) 飯山藩で甘藷栽培、砂糖製造はじまる。」
とあります。


小学生の頃、学校で習った青木昆陽が飯山市に来ていたようです。
昆陽が来た翌年の1742年に千曲川で1000年に1度と言われる大水害(戌の満水)が起きました。この水害がなければ甘藷(かんしょ)=サツマイモの栽培がもっと早く始められたような気がします。
<引用・参考文献>
飯山市誌編纂委員会「飯山市誌歴史編(上)」p.699,平成5年
「飯山市誌歴史編別冊「飯山市歴史年表」」p.33
<参考サイト>
目黒区 歴史を訪ねて 甘藷先生(かんしょせんせい)
https://www.city.meguro.tokyo.jp/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/michi/rekishi/tobu/kansho.html

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