土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

台風19号被害4

長野市津野から。

令和元年10月の台風19号により甚大な被害を被った妙笑寺に家内と立ち寄りました。


家内はボランティア活動で妙笑寺において泥あげ、運搬などの作業を2日間しています。
もう、3年が経とうとしてますが、境内に水害の爪痕がまだ残っているのには驚きました。


令和元年の千曲川の水害跡が水位標に刻まれていました。歴代2位の高さ(推定高さ2.8m前後)ですが、1742年の規模(地面からの高さ3.36m)同様見上げる高さとなっています。


水位標は歴代住職が水害の中でも特に大きな水害を選び、本堂の柱に最高水位と年月日を記録していました。それを1979年に千曲川大洪水水位標として境内地へ建立した経緯があります。建立にあたって住職の指示により実測したそうです(「長野87号」)。


文献(戌の満水)によると


表1 歴史洪水の最高水位の標高
(千曲川工事事務所調べ、1cm以下四捨五入)
妙笑寺(332.7m)


 寛保2(1742)年 336.5m
 明治29(1896)年 334.9m
 弘化4(1847)年 334.8m
 明治43(1910)年 333.6m
 明治44(1911)年 333.7m

ふと、ほかの河川でも明治時代は特に水害が多かったことを思い出しました。前、文献(信州の気候百年誌)に明治時代後半は多雨期(1890年代後半~1920年)にあった記述に驚いたことがあります。多雨期と少雨期が交互にやってくる歴史にも。
写真の災害年が間違ってましたので差し替えしました。申し訳ありません。
<引用・参考文献>
浦野義郎「長野第87号(水害と妙笑寺の水位標)」長野郷土史研究会機関誌
信濃毎日新聞社出版局編・国土交通省千曲川工事事務所協力「寛保2年千曲川大洪水『戌の満水』を歩く」P.16,信濃毎日新聞社,2002年

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