土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

水位標2


小布施町押羽(おしは)から

写真の水位標によると1742年に起きた千曲川の水害=戌(いぬ)の満水により、はん濫水位が10.9mに達しています。ただし、10.9mはこの地表からではなく、千曲川立ケ花量水標からの数値です。1742年の水害は歴史上長野県最大で1000年に1度の規模だったようです。
なお、量水標は河川の水位を目視で確認できる目盛付板をいい、通常、橋脚に設置してあることが多いと思います。


1742年10.9m(立ケ花量水標による数値)
1896年9.7m(同上)
1910年8.3m(同上)
1847年8.2m(同上)
1897年7.6m(同上)
1868年7.3m(同上)
下記サイトによると千曲川に量水標が9箇所設置されています。
千曲川河川事務所
https://www.hrr.mlit.go.jp/chikuma/news/kisha/pdf/r030525chikumagawa_ryousuihyou.pdf


前に文献を読んでいて下記記述に驚きました。


「延徳田んぼを漂流した話」(略)が伝えられている。牛島村(長野市若穂町)の人々が屋根に乗ったまま流されてきて、(略)延徳田んぼを小沼-大熊-桜沢と一回りして助けられたという。(略)軒先より水が増えてくると、わら屋根が浮き出し、縛ってある縄が音を立てて切れ、屋根が平らになったと聞いている。(略)牛島から、丸一日かかって、約一六キロメートルも漂流したことになる。


現在の長野市若穂牛島から中野市小沼・桜沢を経由して小布施町押羽と山王島の間まで(16km)4、5人が流されて助かったようです。


洪水浸水想定区域(想定最大規模)の浸水深で10m以上20m未満の区分がある理由がわかりました。


<引用・参考文献>
信濃毎日新聞社出版局編・国土交通省千曲川工事事務所協力「寛保2年千曲川大洪水『戌の満水』を歩く」P.159,信濃毎日新聞社,2002年

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