土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

古い地名

中野市より

不動産調査をしていると「一丁田」「五反田」「中反田」「三反田」といった地名を見かけます。


文献(長野市誌)によると
[長野市街地の東部、三輪・古牧・吉田・朝陽地区では条理的遺跡が確認されている。柳原地区もその延長上にあって柳原駅東側の一帯が注目されていた。ここは比較的整然とした長方形の水田が並んでいたが、線路をはさんでほとんど宅地化され、水田は見られなくなった。ここの地籍名は、条里制に関係の深い東一丁田(いっちょうだ)・西一丁田とか、上五反田(ごたんだ)・中五反田・下五反田などがある。条里制の基準区画は六間(109m)四方を「一丁田」という。その半分を「五反田」といって、条里的遺構地に共通した地名である。]


文献(長野県の地名)によっては〇反田について違う解釈があります。
「〇たんだ」(〇反田)
これらは一見すると、一枚の田の面積による呼び名のようにみえますが、考えてみるとかつての時代に「三反田」や「五反田」のような大きな面積の田があったとはとうてい考えられず、多くは起状の多い原地形に応じて順次造成されるので、ごく小さい田になるのが普通です。だからこれは一筆の面積に基づく呼び名とは考えられません。では、どう考えたらよいかですが、荒地を共同で開拓し功が成った時に、事業に参加した人々に一人当たり三反とか五反の田を分配したことから起こっ.たものと思われます。とにかく「三反田」のように地名ば県内全域にたいへん多く見られるもので、人々が長年にわたる耕地の開拓の歴史をうかがう地名といえるようです。


今ある地名が大昔の条里制度や開拓の歴史につながるとは面白いですね。


<引用文献>
長野市誌第八巻,pp.410-411
松崎岩夫「長野県の地名 その由来」pp.313-314
<参考サイト>
コトバンク:https://kotobank.jp/word/%E6%9D%A1%E9%87%8C%E5%88%B6-79965
条里制

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