広い道(江戸時代)
長野市鬼無里から
市町村の歴史がわかる地域誌をよく読みます。
長野県坂城町の町誌を読んでいたら下記の記述がありました。
「三 横町、立町、新町
この地区には約一〇二軒の旅篭があった。宿場の道路の中央巾二尺(約0・六m)くらいの小川で二分されていた。道幅は一方は二間(約三・六m)通り、他方は一間(約一・八m)通りとなっていた。二間通りは上り大名、つまり江戸へ勤めに行く大名が通り、一間通りは下り?ジキ、つまり御役が終って国表へ帰る大名が通ったそうであった。各町には川に沿って二、三ケ所の井戸があった。」
江戸時代、広い方を江戸へ向かう大名の通り道にしたのは気分的にわかる気がします。
<引用文献>
坂城町町誌刊行会「坂城町誌上巻」pp.588-589,昭和54年