土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

平賀源内1

長野市安茂里小市(あもりこいち)地区の沢沿いの山(2006.4)、白土と言われるのもわかります。

写真を整理していたら昔(2006年)、白土について興味がわき、安茂里小市地区の山へ行ったことを思い出しました。この辺、航空写真でも白く写っています。

最初、白土は陶土用に使われていましたが、その後、精米が早くできる「早搗粉(はやづきこ)」として着目され、小市区犀沢山一帯を中心に採掘されました。昭和20(1945)年頃まで出荷がつづいたようです(安茂里史)。


文献(長野市誌)に下記記述があります。
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安茂里地区の白土については、すでに宝暦(ほうれき)十三年(一七六三)刊の平賀源内『物類品騭(ぶつるいひんしつ)』に、「ヤキモノニ用ウル色白キ土」「信濃水内(みのち)郡小市(こいち)村産上品色至テ精白ナリ」と書かれ、最初は陶土として利用されたが、長つづきはしなかったらしい。かわって明馨(みょうばん)を製造し、薬品・染色・皮なめしの材料として利用するようになった。
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平賀源内は安茂里小市地区の白土(はくど)について文献(物類品騭)に記述していました。


昔、白土はチョークなどにも利用されたそうです。チョークは石筆(せきひつ)ともいいますが、今の若い人はチョークなんて知らないかもしれません。
<引用・参考文献>
「長野市誌第八巻」p.693, 平成9年
安茂里史編纂委員会「安茂里史」p.260,平成7年

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