色々な経験
須坂市(2021.2.12撮影)から。


先日、水道について文献を調べていたら興味深い記述(引用)がありました。
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神田上水は一部を小石川から今日の水戸徳川家の上屋敷であった後楽園の庭園に落とし、水道橋から縣樋(かけひ)、つまり高架にして神田川を横切り、駿河台から伏樋(ふせひ)にして江戸市中に分配するために四つに分水する。
水道橋という地名は、この縣樋が神田川を橋のように横切っていたことから生まれた。なお、関口台町の関の築堤工事を行なったときの人足監督には俳人・松尾芭蕉がいた。ここではじめて、彼の名前が江戸に現われる。(略)この事実は、芭蕉が当時、一流の科学知識を持った伊賀国出身の技術者だったことを示している。(略)伏樋(ふせひ)とは、杉や檜の生木をくりぬいたパイプ状のものか、杉や檜材を組み立てて箱型にしたものである。いずれにしても、この樋の長さだけで三六四五間(約六・五キロ)。このパイプから水をとって溜める枡(井戸)が3663カ所というから、大工事であったにちがいない。
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芭蕉は、水道(神田上水)工事の現場監督を務めるほどの技術者であったようです。
それに文京区のサイトにも同様の記述がありました。
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関口芭蕉庵
江戸時代を代表する俳人松尾芭蕉(1644~1694)が、2度目の江戸入りの後、1677年から3年間この地に住んだ。当時、旧主筋の藤堂家が神田上水の改修工事を行っていて、芭蕉はこれにたずさわり、工事現場か水番屋に住んだといわれる。」
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今年のNHK大河ドラマに登場する藤堂高虎は、三重県津市の基礎を築いた武将で、豊臣秀長の家老としても有名です。芭蕉も同郷(三重県)であったので藤堂家と関係があったようです。
ウィキペディアのサイトには、芭蕉が若い頃、料理人を務めていた記述もありましたから色々な経験を積んでいたことがわかります。
<参考文献>
樋口清之「完本梅干と日本刀」p.254,平成12年
<参考サイト>
文京区サイト(関口芭蕉庵)
https://www.city.bunkyo.lg.jp/b014/p003746.html
ウィキペディア(松尾芭蕉)