製氷
大町市(2012.7)から。北アルプスが悠然として。
今年6月中旬、喫茶店でアイスコーヒーを飲んでいました。中の氷が溶けていくのを見て、昔、製氷業が盛んだった記述が軽井沢町誌(引用)にあったことを思い出しました。
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軽井沢の製氷業は、明治10年(1877)に開始された。その後氷の需要は年々増加し、大正8年から15年の最盛期には年産額四万トンを製氷した。(略)
天然氷の採取期は1月、2月の最も寒い時に行われる。源水を濾過(ろか)池に引水し、これを10アールぐらいの長い製氷池に1メートルほどの深さに水を張り、池の南側に菰(こも)で高い日除を作って日光の直射を防ぐ。零下15度ぐらいの寒い日が約1週間続くと、氷は厚さ20センチほどになるので四角に切りとって池から引き上げる。引き上げたものは白色の不透明の氷であるが、3、4日寒風にさらしておくと透明清澄な氷となる。この仕事は零下10数度という厳寒のなかで行なわれる。(略)冷蔵車の場合は解けないが、ワムとよばれる普通車の時にはおがくずをまわりにつめ、その上に草をのせて解けないようにして送り出したといわれている。(略)大正11年ごろの盛んだった時には、軽井沢町内に23軒の製氷業者があって(略)
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軽井沢駅の標高は約940m、銀座通りは956m~960mくらいありますから、天然氷造りが可能だったようです。
実際、大正時代の統計資料(町誌・大正13年12月刊行「北佐久郡郡治一班」より作成)によると軽井沢町(西長倉村除く)の採氷数量(T12.12~T13.1,2)は6,585,824貫(1貫匁価格22厘)になっています。
1貫=3.75kgとすると24,696,840kg=2470万kg(2.5万トン)になり、小型トラック1台当たりの積載量を2,000kg(2t)とした場合、約12,300台分、稼働期間を80日とすると1日150台程度に相当。たとえが適切でないですが・・・。
製氷期間の1月~2月は、たいへん忙しかったことが想像できますが、大正時代は零下15度ぐらいの日が毎年続いていたのには驚きました。
現在、製氷業者は製氷メーカーでつくられた高さ1m(135kg)の氷を32又は36等分にカットした「1貫目」(1かんめ)単位を基準に販売していました。氷の大きさは1貫目、2貫目、2.5貫目というように「貫」の単位が使われるようですから面白いですね。もちろんキログラムが原則ですが・・・。
角氷(1貫目)3.75kg:国内統一規格の白い芯のない完全透明氷
製氷の大きさは、不動産の「坪」のように昔とあまり変わってないのかもしれません。
廃止された尺貫法制度を今も引きずっているかのように。
<引用・参考文献>
軽井沢町誌 歴史編(近現代),p.265,昭和63年
<参考サイト>
日本銀行
https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/history/j12.htm
氷屋純氷
https://www.icenet.or.jp/

