イナゴ
京都府の天橋立(2015.5)から
先日、飯山市の「道の駅」にイナゴの佃煮が売っていました。小さい頃、カイコのさなぎ同様、朝食によく食べました。
今の家族は”イナゴは見るのも気持ち悪いし、バッタと同じ”といいますが、バッタは気持ち悪くて私でも食べられません。確かに似ていますが・・・。
ところで近世の三大飢饉といわれるのに享保・天明・天保があります。文献によると享保の飢饉では気候不順によりイナゴ(蝗)が大発生し、被害が著しかったようです。前にテレビで見ましたが、イナゴの大群が草原を食い尽くして移動する様は異様に映りました。
天保の飢饉では天保7(1836)年を頂点として4年から9年まで続きました。文献によると「天保7年は5月、6月、7月、8月17日まで毎日のように雨が降り続き照る日は稀だった」とあります。
また、同文献に「天保8年2月10日頃、野沢(佐久市)では米1駄3両3分2朱、7月には1駄5両を少し欠けた。」とありますから、天候不順により短期間に物価急騰(約50%増)がおきていたことがわかります。天保8(1837)年大塩平八郎が窮民救助のために大阪で乱を起こしたのは当然だったようです。
ちなみに1駄は馬一頭に背負わされる荷物の重量からできた単位で江戸時代の定めでは135kgになっています。
最近の暑さを考えると飢饉並みといえそうです。
<引用・参考文献>
「長野市郷土史研究会機関誌第87号'79の5」特集飢饉災害特集号,pp.1,13-15,昭和54年9月発行,平成14年改訂再版
