土地評価のブログ

不動産鑑定士の日々

乗合馬車

小川村(2013)から

仕事で最寄りのバス停を確認することがありますが、郊外や山間部のバス停が乗合タクシーの停留所に変更されていることがあります。乗合タクシーは電話予約が必要で通常のバスと異なり、不定期なのが特徴です。


前に文献を読んでいたら下記記述に驚いたことがあります。
「明治維新後、欧米文化が急速にこの日本を変えていったが、明治三十二年(一八九九)には淀ケ橋~三輪(相ノ木通り)~吉田~須坂間に「トテ馬車」(ラッパを吹きながら走る乗合馬車)の路線が開かれた。(略)しかしこれも大正十年には乗合自動車にかわった。大正末期から昭和初期にかけては長野駅~千歳町~権堂~三輪(相ノ木通り)~吉田のバス路線が開設された。」


明治時代、ラッパを吹きながら走る乗合馬車が走っていました。当時の道は舗装がされていないと思われますので乗り心地は悪かったでしょう。昔、知人がインド旅行でバスに乗ったら”舗装されていない道だったので酔って疲れ切った”と言ってましたから。


大正10年に乗合自動車に代わったようですから現在も昔に戻りつつあるなと思えました。
<引用・参考文献>
三輪地区郷土史部会・三輪郷土誌編集委員会「三輪郷土誌」p.50,平成13年

×

非ログインユーザーとして返信する